今日も(オフィスで)徹夜だった。まだ帰れそうもないけど、気分転換にちょっと昔話の一つでもしようか。
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19歳で関西に一人で出て、その時は学生だったからもうとにかく金がない。学校の費用や生活費は親から仕送りもらってるからまぁ良いとして、それとは別に遊ぶ金が欲しくなる。19歳と言えば、ヤリたい盛りだ。打つ、買う、飲む、全部一通りヤリたい。で、バイトにいそしむ。
時給が良かったのは、パチンコ屋のバイトだった。時給1200円くらい出た。朝9時から夜10時くらいまで働き通した。1日で1万5千円くらいになる。今はどうかは知らないけど、当時のパチンコ屋は、食堂みたいなところがあって、バイトでも飯も食えた。オカズはたくわん5枚と味噌汁のみ、みたいな無茶なメニュー(無茶だなぁほんとに)だったけど、白米は腹一杯食えた。今思い出すと、割と懐かしい。仲間もたくさんできたしね。
一番キツかったバイトは、京都のカワラ屋のバイト。コレはキツかった。古式ゆかしい街だから、当然屋根瓦の工事をする業者っつーか、職人はたくさんいる。そこへ、バイトで行った。コレがエグい。もう、死ぬほどキツかった。クソ重いドロやら瓦やらを抱えて、屋根の上を右へ左へ走り回って転げて落ちた。屋根に穴を開けたことも1度や2度じゃ済まない。そのたびに、親方に罵声を浴びた。朝10時から夕方5時までで日給1万円。雨が降ると仕事が休みになる。もっともその分の日給は当然でない。
実はあんまり大きな声じゃ言えないけど、某ピンサロみたいなとこでバイトしたこともある。ただし、1週間くらいだけ。絶対やりたくなかったバイトだったけれど、ちょっと知り合いのゴタゴタに巻き込まれてどうしても1週間やらんといけなくなった。年下の小僧達に良いように使われて、店の女の子からは優しい言葉をもらった。あまり思い出したくないシリーズの一つだ。日払い1万円。朝10時から夜12時までの通し。店が店だけに、立ちっぱなしでキツかったな。
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それからしばらくして、大学を出て、広告会社に入った。6年勤めて、信条を異にする経営幹部に見切りを付けて(今思えば近視眼的な視点しかなかった、と思うがさほど後悔はしてない)、東京へ出た。ところが東京へ出て3年で、転職した会社がなくなってしまう。
まぁなるようになるか、とたかをくくったものの敗走の兵で葉山に逃げ帰ることになる。東京の家を引き払う時、最後、財布の中に2万か3万しか残ってなかった。でも、不思議とそれほど焦ってなかった。葉山に持ち家があったしね。失業保険でももらって畑で大根でも育てるか、とのんきに考えてた。これが確か32歳かそこらの時の話だ。つい、ちょっと前の話だな。
実は真面目な話、起業する気なんかまったくなかった。ホントにマジな話、葉山で大根育てようと思ってんだ。目の前には海がある、金はないけど時間はたっぷりある。のんびり生きよう、スローライフ、みたいな気分だった。サーフィンやって、年中砂浜に転がって、ヒマをもてあましたら釣りでもするか、くらいのノリ。
それから、だ。
何がどうしたのか自分でもよくわからないまま、半年くらいでガラガラと音を立てて人生のコマが不思議な回り方を始めた。最初はよろよろ危なげに回ったコマが、やがて勢いをつけてグルグルと回り始める。もちろん今だってそんなコマの一つ、大きな会社や、社会のうねりの中でコロリと倒れることはありえるだろう。でも、こういうのはもう性格の問題なんだろう。あまり気にしていない。以前、あの例のヒューザーの会社のおじま社長が、コケる時は派手にコケます、みたいなこと言ってひんしゅくかってたけど、個人的には割と好きな台詞だ。ドブで死すとも前屈み、みたいなもんだ。良い言葉だ。
そんな日々になって4年目に入ろうとしている。敗走の兵から4年、今年は東京へ再び出てきているけど、時々気分転換に葉山に帰る時がなによりうれしい。いつか、可愛いお嫁さんにあの葉山の海を見せてやろうと思うけど、それはもう少しあとのドラマになりそうだ。
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さぁ。朝だ。デスクに戻ろう。